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地形[12] 長良川下流域
~長良川は支流~

 
  
【豆知識】

濃尾平野を流れる木曽三川(さんせん) (木曽川・長良川・揖斐川) は,濃尾傾動運動のために下流へいくほど西へ偏り,互いに接近していく.各河川は低い方へ向かって流れようとしているだけであるから,そのままにしておけば木曽川の水は長良川へ,長良川の水は揖斐川へ流れ込む.そうなると水の負担は揖斐川へ集中していき,その流域で恒常的に洪水を起こすようになる.現在,三川は他の河川にいっさいの負担をかけずに自己責任で水を伊勢湾まで運び出している.唯一の例外は長良川と揖斐川の最下流部であり,河口堰より下流では両河川は合体して一本の川となり,地形図上では揖斐川となって伊勢湾へ流れている.この自己責任は自然が作り出したものではなく,人間がかなり苦労して大規模な水害対策工事を行なってなし得たものである.これを三川分流工事という.
最初の本格的な三川分流工事は有名な宝暦治水工事であり,江戸時代の中頃に薩摩藩によって行われた.大きく2ヵ所で行なわれ,1つは現在の輪之内町と平田町を境する大槫川(おおぐれがわ)を長良川と洗堰で分ける工事,もう1つが有名な“千本松原”の油島(あぶらじま)締切工事である.どちらも長良川と揖斐川の分流工事のように見えるが,後者は木曽川と揖斐川の分流工事であった.現在,羽島市の最南端にあたる桑原町で木曽川と長良川が接しているが,当時はここで長良川は木曽川に合流しており,ここが長良川の最下流部であった.現在では,この“合流点”より下流では木曽川と長良川は1本の堤防で境されて流れているが,現在の長良川の位置にはかつて木曽川が流れており,現在の木曽川の位置に人工河川を掘ることで長良川と木曽川の分流工事を行なった.こうした大規模な工事は江戸時代にはできなかったため,明治時代になってオランダの土木技師デレーケの指導によって成し遂げられた.

【関連項目】 地形[1] 濃尾平野
災害[4] 濃尾平野の水害と御囲堤

【キーワード】 油島締切工事,大槫川洗堰工事,木曽三川,三川分流工事,人工河川,千本松原,デレーケ,濃尾傾動運動,濃尾平野,宝暦治水工事

【関連文献】 なし

【余談】
宝暦治水工事が薩摩藩の多大な犠牲のもとに行なわれた工事であったことは説明の必要もないほど有名な史実である.それによって現在まで鹿児島県との交流が続いている.これも元を質せば“濃尾傾動運動”にあると考えるのは考え過ぎであろうか.なぜなら,三川分流工事は濃尾傾動運動を原因としている.

『学習テーマ』
小学5年「流水による土地の変化―川の働き
自然の改造,災害


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