人類の出現

ほ乳類の時代

白亜紀末に恐竜などの生物が一斉に絶滅すると,生き残った生物が適応放散した。海洋無脊椎動物の中では二枚貝や巻き貝が多様化し,陸上では種子植物や鳥類が多様化した。
この中でも,ほ乳類の適応放散は著しい。
ほ乳類は,恒温動物で,胎生で,雌が母乳を与えて子どもを育てる。
最初の哺乳類は,恐竜が繁栄した中生代に出現した。それに近い現生動物は,オーストラリアのカモノハシとハリモグラで,単孔類に分類される。単孔類は恒温動物で,ほ乳類の特徴である乳腺を持つが,他のほ乳類と違って卵を産む。
新生代にになって繁栄したほ乳類は,カンガルーの仲間である有袋類,ハリネズミやトガリネズミの仲間である食虫類だった。

霊長類

霊長類は,中生代の末期か新生代の初期に,食虫類から枝分かれして多様化した。食虫類の多くは地上で生活し,昆虫を捕まえて食べるが,霊長類は雑食性で,樹上生活に適応した。この生活様式の変化によって,ものをつかめるように手が発達し,また,頭部における目の位置が変化して立体視できるようになった。

人類の登場

人類が登場する新生代後期は,気候の寒冷化がいっそう進んだ。
ゴンドワナ大陸から分かれたインド大陸が4000万年前アジア大陸と衝突し,1500万年前からヒマラヤ山脈が大きく隆起した。大陸衝突は造山活動を引き起こし,その大地は激しい風化と侵食を受けた。風化反応によって大気中の二酸化炭素は炭酸塩岩になり,大気中の濃度が下がって気候が寒冷化した。
この変化は世界各地に影響した。人類の祖先が樹上生活を送っていたサバンナは乾燥し,彼らは草原で生活するようになった。人類は,発達した手で石を加工して道具を作り,火を使い,狩猟や採集をした。やがて脳が発達し,言語が生まれ,文化が発達した。

ホモ・エレクトゥスの発見

1856年に,ネアンデルタール人の化石が発見された。この年はダーウインが 『種の起源』 を出版するより3年前であり,進化論に基づいた人類の位置づけがなされるはるか以前だった。
19世紀末,ダーウインを擁護したドイツのヘッケル[解説]は,東南アジアの類人猿が人類に近いことから,人類の祖先の化石はアジアで発見されると予言した。これを聞いたオランダのデュボアは,ジャワで発掘調査をおこない,頭蓋化石を発見した。
この化石の脳容量は860 cm³で,現生人類と類人猿の中間だった。デュボアはこれを類人猿と人類を結ぶミッシング・リングだとして, 〝ピテカントロプス・エレクトゥス〟 と命名したが,学界では冷遇された。
20世紀になると,中国の北京近郊で,カナダのブラックが人類の祖先らしい化石を発見し, 〝シナントロプス・ペキネンシス〟 と名づけた。脳容積は1075 cm³である。しかしこの化石は,日中戦争中に行方不明になってしまった。
現在では,ピテカントロプス・エレクトゥスもシナントロプス・ペキネンシスも同じ種で,その種は現生人類 (ホモ・サピエンス) と同じ属に分類され,共に 〝ホモ・エレクトゥス〟 と呼ばれる。
1984–1988年,リーキーらは,ケニアのトルカナ湖西岸にある約150万年前の地層から,ホモ・エレクトゥスのほぼ完全な骨格KNM‐WT15000を発見した。この骨格は少年だったので, 〝ナリオトコメ・ボーイ〟 と名づけられた。
ホモ・エレクトゥスは,約140万年前,ホモ・エルガスターから派生したと考えられる。

アウストラロピテクスの発見

20世紀になると,ホモ・エレクトゥスよりも古いヒト科化石が相次いで発見された。最初に発見されたのは,南アフリカのアウストロピテクスである。
南アフリカのダーツは,石灰岩採石場のタウングで産出した化石の中に,人類の祖先らしき頭骨を見つけた。この化石 (子どもだったので 〝タウング・ベイビー〟 と呼ばれた) は,すでに知られていたホモ・エレクトゥスよりも脳容積は小さいが,明らかに,類人猿のものではなかった。ダーツは,この人類を 〝アフリカの南の猿〟 という意味の 〝アウストラロピテクス・アフリカヌス〟 と名づけ,1925年に発表した。
だが,この化石がヒト科に属すると認められるのは,1950年代になってからである。アウストラロピテクス・アフリカヌスの化石はその後,アフリカ各地で発見された。
アウストラロピテクス・アフリカヌスは,身長130 cm,体重20–30 kg,脳容積400–500 cm³で, 〝華奢型〟 のグループを構成している。
その後,南アフリカでブルームらが,大きな歯と顎をもつ, 〝頑丈型〟 の新種を発見し, 〝パラントロプス・ロブストゥス〟 と名づけた。
1960年,タンザニアのオルドゥヴァイで,リーキー夫妻が新たなヒト科化石を発見した。やはり 〝頑丈型〟 のこの新種は, 〝ジンジャントロプス・ボイセイ〟 と名づけられた。身長は150 cm,体重は50 kgで,脳容積は500 cm³である。ジンジャントロプス・ボイセイは,パラントロプス・ロブストゥスとよく似ていたので,現在では同じ属に分類され, 〝パラントロプス・ボイセイ〟 と呼ばれる。
これらの発見によって,人類の発祥の地がアフリカだという考えが定着した。当時のアフリカでは,華奢型 (アウストラロピテクス) と頑丈型 (パラントロプス) が共存していた。
さらに1974年,エチオピアのアファールに分布する300万年前の地層から,全身のそろった新種の化石人骨が発見された。この化石は女性で, 〝ルーシー〟 と名づけられた。
この種は, 〝アウストラロピテクス・アファレンシス〟 と名づけられた。アウストラロピテクス・アファレンシスの脳容積は約400 cm³である。これは,当時としては最古だったアウストラロピテクス・アフリカヌスより小さいことから,アウストラロピテクス・アフリカヌスの祖先だとみなされた。しかし,脳は小さくても,骨格の形態から,二足歩行していたことは明らかだった。
また,1985年には,リーキーらはエチオピアのトゥルカナ湖西岸で,パラントロプスに属する新種の化石を発見し, 〝ブラック・スカル〟 と名づけた。
この種は, 〝パラントロプス・エチオピクス〟 と名づけられた。この種は,古い形質と新しい形質が混じっており,アウストラロピテクス・アファレンシスとパラントロプス・ロブストゥスの中間に位置づけられる。

ホモ・ハビリスの発見

1960年代,オルドゥヴァイで調査をしていたリーキー夫妻らは,人類の祖先が作ったらしい石器を発見した。当時オルドゥヴァイで発見されていた人類の祖先は,アウストラロピテクス・ボイセイだけだった。しかし,アウストラロピテクスが石器を作ったとする考えは受け入れがたかった。彼らは,オルドゥヴァイで発見された頭蓋化石の中にアウストラロピテクスよりも進化したものが含まれているとして, “器用なヒト” という意味でホモ・ハビリスという名前を提唱した。
1972年になると,トルカナ湖東岸の約200万年前の地層から,アウストラロピテクスよりも大きな脳容積 (770cm³) の頭蓋化石が発
見され,ホモ・ハビリスの存在が決定的となった。
ホモ・ハビリスは,アウストラロピテクスとホモ・エレクトゥスの中間に位置づけられるが,パラントロプス・ロブストゥスやアウストラロピテクス・アフリカヌスは人類の祖先ではないようだ。

ネアンデルタール人

トルコからヨーロッパの洞窟で,ヒト科に属する化石が発見されている。その発見は,1856年ドイツのデュッセルドルフ地域にあるネアンデルタル洞窟の人骨化石にまでさかのぼる。
人骨化石には剥離した石器や動物の骨などが伴われ,ヨーロッパ人の祖先だという見解と,現生人類 (ホモ・サピエンス) とは異なる種 (ホモ・ネアンデルターレンシス) だという見解があった。ネアンデルタール人は,23万年まえから3万年前にかけて生きていた。その脳容積は1300 cm³で,死者を埋葬する風習をもっていた。

© 2002 Gifu University, Shin‐Ichi Kawakami, Nao Egawa.