アウストラロピテクスの発見
20世紀になると,ホモ・エレクトゥスよりも古いヒト科化石が相次いで発見された。最初に発見されたのは,南アフリカのアウストロピテクスである。
南アフリカのダーツは,石灰岩採石場のタウングで産出した化石の中に,人類の祖先らしき頭骨を見つけた。この化石 (子どもだったので 〝タウング・ベイビー〟 と呼ばれた) は,すでに知られていたホモ・エレクトゥスよりも脳容積は小さいが,明らかに,類人猿のものではなかった。ダーツは,この人類を 〝アフリカの南の猿〟 という意味の 〝アウストラロピテクス・アフリカヌス〟 と名づけ,1925年に発表した。
だが,この化石がヒト科に属すると認められるのは,1950年代になってからである。アウストラロピテクス・アフリカヌスの化石はその後,アフリカ各地で発見された。
アウストラロピテクス・アフリカヌスは,身長130 cm,体重20–30 kg,脳容積400–500 cm³で, 〝華奢型〟 のグループを構成している。
その後,南アフリカでブルームらが,大きな歯と顎をもつ, 〝頑丈型〟 の新種を発見し, 〝パラントロプス・ロブストゥス〟 と名づけた。
1960年,タンザニアのオルドゥヴァイで,リーキー夫妻が新たなヒト科化石を発見した。やはり 〝頑丈型〟 のこの新種は, 〝ジンジャントロプス・ボイセイ〟 と名づけられた。身長は150 cm,体重は50 kgで,脳容積は500 cm³である。ジンジャントロプス・ボイセイは,パラントロプス・ロブストゥスとよく似ていたので,現在では同じ属に分類され, 〝パラントロプス・ボイセイ〟 と呼ばれる。
これらの発見によって,人類の発祥の地がアフリカだという考えが定着した。当時のアフリカでは,華奢型 (アウストラロピテクス) と頑丈型 (パラントロプス) が共存していた。
さらに1974年,エチオピアのアファールに分布する300万年前の地層から,全身のそろった新種の化石人骨が発見された。この化石は女性で, 〝ルーシー〟 と名づけられた。
この種は, 〝アウストラロピテクス・アファレンシス〟 と名づけられた。アウストラロピテクス・アファレンシスの脳容積は約400 cm³である。これは,当時としては最古だったアウストラロピテクス・アフリカヌスより小さいことから,アウストラロピテクス・アフリカヌスの祖先だとみなされた。しかし,脳は小さくても,骨格の形態から,二足歩行していたことは明らかだった。
また,1985年には,リーキーらはエチオピアのトゥルカナ湖西岸で,パラントロプスに属する新種の化石を発見し, 〝ブラック・スカル〟 と名づけた。
この種は, 〝パラントロプス・エチオピクス〟 と名づけられた。この種は,古い形質と新しい形質が混じっており,アウストラロピテクス・アファレンシスとパラントロプス・ロブストゥスの中間に位置づけられる。
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