岐阜の地学  災害  栃尾洞谷土石流  帰雲山大崩壊

災害[7] 越美三大崩れ
~下流に影響を及ぼす崩壊~

 
 
  
【豆知識】

揖斐川上流域と根尾川上流域にあたる地域は越美山(みやま)系と呼ばれ,地形が急峻であることに加えて,南向きの斜面に高温多湿風がふきつけることで多雨地帯にあたっており,これまでに斜面崩壊や土石流などが頻発してきた.なかでも1895年 (明治28年) 8月5日に発生した坂内村ナンノ谷の大崩壊,1965年 (昭和40年) 9月に発生した徳山白谷の大崩壊と根尾白谷の大崩壊は,越美三大崩れと呼ばれ,国直轄の砂防工事が行なわれているほど周囲に影響を及ぼす大規模な崩壊であった.この地域の地質はすべて美濃帯堆積岩類で構成されているが,崩壊地の地質は,石灰岩と玄武岩質火山岩類の複合堆積体とメランジと呼ばれる泥質の基質にさまざまな礫や岩塊を含む堆積体とが接する地域であることが多い.比較的浸食に強い前者が浸食に弱い後者の上に位置して,重力的な不安定さが崩壊を発生させているようである.もちろん,周囲には複数の断層が走り,さらには堆積体内部の断層もからんで,斜面の弱体化が進んでいることはいうまでもない.
ナンノ谷の大崩壊は1週間にわたり降り続いた集中豪雨により発生し,153万m³の崩壊土砂が坂内川をせき止め,高さ約38mの天然ダムを形成した.崩壊自体では犠牲者は出なかったが,このダムが1週間後に決壊したことで下流で氾濫が起き,それにより死者4名,流出家屋23戸という被害がでた. 徳山白谷の大崩壊は台風がもたらした大雨により発生し,183万m³の崩壊土砂が徳山白谷をせき止め,高さ約65mの天然ダムを形成した.ナンノ谷と異なり,下流には前年に完成した横山ダムがあり,崩壊後の災害はなかったが,周囲のほとんどの谷筋で起きた土砂崩れの土砂も含めて,すべてが横山ダムに流れこんだことで別の問題を生じた. 根尾白谷の大崩壊は徳山白谷と同じ大雨で発生し,107万m³の崩壊土砂が崩れだした.他の2例と異なる点は,大きな谷までの距離がある位置で崩れたことでせき止め湖のようなものを作らなかったことである.その分,下流への土砂流出がいまでも徐々に進行している.

【関連項目】 災害[1] 土砂災害とは
災害[2] 岐阜県の土砂崩れ
災害[6] 栃尾洞谷土石流
災害[8] 帰雲山大崩壊
岩石・鉱物[7] 美濃帯堆積岩類

【キーワード】 越美山系,越美三大崩れ,坂内村ナンノ谷大崩壊,砂防工事,徳山白谷大崩壊,根尾白谷大崩壊,美濃帯堆積岩類

【関連文献】
斎藤 眞・沢田順弘 (2000) 横山地域の地質.地域地質研究報告 (5万分の1地質図幅) ,地質調査所,126P.

【余談】
山が大崩壊を起こすとはいっても,1つの山全体が崩れ去るということはまずない.セントヘレンズ火山や磐梯山のような火山噴火で山ごと崩れ去ることはあるが,土砂崩れとしての山体崩壊では山体斜面の一部がえぐられるだけにすぎない.それでも莫大な量の土砂が流れ出し,簡単に川をせき止め,とんでもない被害をもたらす.

『学習テーマ』
災害 (土砂災害)


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