図1.太古代の大陸バールバラの復元図。
(ツァオらの2002年の研究にもとづく)
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バールバラ(Vaalbara)は、南アフリカのカープファールクラトン(Kaapvaal craton)と西オーストラリアのピルバラクラトン(Pilbara craton)の名前をとった造語である。クラトンは剛塊と訳されることがあり、先カンブリア時代に安定化し、その後活動を停止した古い安定大陸のことをいう。
太古代から原生代初期にかけての厚い地層が、南アフリカのカープファールクラトンと西オーストラリアのピルバラクラトンに露出していることは古くから知られていた。1996年にチェニイという地質学者は、これらの2つの地域に露出する太古代から原生代にかけての地層の積み重なり方がよく対応していることに注目し、それが2つのクラトンが当時隣り合って配置し、ひとつの大きな大陸をつくっていたためであるという考えを提唱した。この大陸が2つのクラトンの名前の一部をとったバールバラという大陸である(図1)。
西オーストラリアの地層は、下位からフォーテスキュー層群、ハマースレイ層群、下部ウィロー層群からなる。フォーテスキュー層群は27億7000万年前か27億1000万年前にかけて堆積したもので、砂岩や玄武岩を主体とする。ハマースレイ層群は、26億8000万
年前から24億3000万年前にかけて堆積したもので、炭酸塩岩や縞状鉄鉱床を挟む。下部ウィロー層群は24億7000万年前から22億年前のもので、原生代初期の氷河堆積物を挟んでいる。同様の地層の積み重なりがカープファールクラトンでもみられ、しかも堆積年代もほぼ一致するというわけだ。
地層の積み重なりの共通性は過去の大陸復元の手がかりのひとつである。地質学者は、こうした断片的な手がかりをもとに推理しながら過去の大陸の姿を浮き彫りにしようとする。すなわち、バールバラ大陸は一つの作業仮説であり、太古代に南アフリカと西オーストラリアが対置していたとする新たな証拠を集めて検証していくことが必要だ。
ところで、太古代のクラトンとして、カープファールの北にジンバブエクラトン、ピルバラの南にはイルガーンクラトンがある。ジンバブエとカープファールの境界部の造山帯がリンポポ造山帯、ピルバラとイルガーンの境界にできた造山帯がカプリコーン造山帯である。これらの造山帯は、20-18億年前のものである。このころ各地にできた古い大陸が集合して、さらに大きな大陸へと発展していったことを先カンブリア時代の造山帯が物語っている。
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