山県市高富町南東部~岐阜市北東部

↑梅原地震断層のすがた

高富町南東部
山県市高富町南東部~岐阜市北東部地域

岐阜市北東部
山県市高富町南東部地域および岐阜市北東部地域における梅原地震断層の推定位置と変位確認地点
(1 / 2.5万地形図「岐阜北部」を使用)

鳥羽川西岸地域における断層線の位置や北側低下という変位はそのまま東岸地域に延長されて,断層線は高富町南東部から岐阜市北東部へかけての沖積低地に段差を作りながら東進し,武儀川をわたって関市地域へと続きました.

1. 旧郡役所 (梅原9)

郡役所の裏地では,断層線の北側が低下すること約2 mに達した.その方向はおおよそ北74 °~82 °西であった.単に亀裂に止った所もあった.あるいは約5.5 mを隔てて2つの亀裂線相平行して,その中央部は非常に擾乱していたこともあった』 (大森) .この郡役所は,現在の県政資料館 (前県事務所) の場所にあったとされていますが,別の場所とする意見もあります.いずれにしても鳥羽川の東岸地域では,おおよそ東西方向に数本の断層線が現れ,その北側が階段状に落ちていたようです.

2. 山県市森 (梅原10)

ここでは,『竹薮中の小祠がある地点で道路を横切り,北側が約1.5 m陥ち,西へ約60 cmずれた』 (大森) とされています.この様子を1929 (昭和4) 年に撮影した写真がありますが,左ずれ屈曲した道路は現在ではまっすぐになり,北側がわずかに落ちた状態だけがみられます.そのすぐ東側における断層崖の写真も1929年に残されており,0.5~1 mの段差が現在も残されています.

3. 岐阜市太郎丸(たろうまる) (梅原11)

山県市森から東隣の岐阜市太郎丸へかけては,現在の県道よりも北側に北落ちの段ができたために,北からの水路がせき止められたとされています.現在では明確な段差は確認できません.

4. 岐阜市石原~古市場 (梅原12,13)

太郎丸を過ぎて千匹(せんびき)村境までの約2.2 kmの間は連続して一直線に北80 °西の断層が現れた.常に北が低下した』 (大森) .『石原では高富に通じる新道の傍の溜池を横断し,その北半分が低下し,かつ西へずれた.これより東では,古市場を経て,千疋と戸田の間を走り,長良川を越える』 (小藤) .石原から古市場へかけては,現在でも県道より南側でやや高い傾向になっており,当時は北方からの小川が止められ,田は排水不良の沼~湿地になりました.