岐阜の地学  地形  環流丘陵  日本最古の岩石

地形[16] 各務原台地
~氷河期がつくった河岸段丘~

 
  
【豆知識】

海水面が下がって木曽川や長良川の河口の位置が現在よりもはるか沖合いに退くと,新たな河口の位置を基準に河川勾配がつけられるようになる.それは現在の各務原市付近や岐阜市付近は現在の河口からの位置よりも上流に移ったことと同じであり,下方への浸食の場になる.それまで河川が砕屑物を堆積させたところが浸食されることにより,堆積物が削り込まれ,それまでの河床面であった堆積物の表面と新たに削り込んでできた河床面との間に段差が生じる.これが河岸段丘である.海水面の変化は氷河の成長と後退で起こる現象であり,河岸段丘は氷河期と間氷河期の変化を表わしていると考えればよい.実際に河岸段丘は同一の場所で複数段に分けられることが多く,それらが微妙な海面の変動を表わしていることになり,高い位置にある段丘ほどその形成時期が古い.
各務原市の市街地は,木曽川の北岸にそって現在の河床面よりも5~10mほど高い各務原台地と呼ばれる台地の上に広がっている.この台地は東西約10km,南北約5kmの広がりをもち,西に向かって低くなっており,これも濃尾傾動運動の影響である.この台地を作っている地層は各務原層と呼ばれ,古い木曽川が運んできた土砂によって作られたもので,その主体をなす砂礫層はおもに粗い砂からなり,いろいろな種類の礫を含む堆積物であるが,その中にオレンジ色の御嶽火山起源の軽石を含むことを特徴としている.これは,6万~10万年前の時期に御嶽火山で活発な火山活動があり,山麓に堆積した大量の軽石が当時の木曽川によって運ばれてきたものである.この各務原層は間氷期の堆積物であり,その次の氷期になって河口の位置が下がったことで台地の南端と東端が削られて段丘が形成された.それは各務原層からなる上位の段丘面と浸食された当時の河床面に堆積した河床礫層からなる下位の段丘面からなる.これら両方の段丘面を上流から流れてきた木曽川泥流が覆っており,その年代は約5万年前である.

【関連項目】 火山[16] 木曽川泥流
災害[4] 濃尾平野の水害と御囲堤

【キーワード】 海水面,各務原層,各務原台地,河岸段丘,間氷河期,木曽川泥流,氷河

【関連文献】
吉田史郎・脇田浩二 (1999) 岐阜地域の地質.地域地質研究報告 (5万分の1地質図幅) ,地質調査所,71P.

【余談】
木曽川が現在の流路を最終的にとるようになったのは江戸時代直前の1586年 (天正14年) であり,それ以前は各務原市前渡から各務原台地の西端を区切るように流れ,岐阜市南部を横切って長良川に流れ込んでいた.現在の境川がそのなごりである.江戸時代の各務原台地は,その上を中仙道が貫いて東端の鵜沼宿と西方の加納宿をつなぐ長丁場の野原にすぎなかった.未開拓の荒地は,明治初期に軍事演習場として利用され始め,それが軍事飛行場に引き継がれていった.農地もさることながら,住宅地や工場用地などに利用され始めたのはそれほど古いことではない.

『学習テーマ』
小学5年「流水による土地の変化―河川の働き
河岸段丘


岐阜の地学  地形  環流丘陵  日本最古の岩石

ホーム岐阜の地学・よもやま話 copyright © Yoshimitsu Koido 2001–2002.
製作・著作: 小井土 由光 (email), ページ作成: 江川 直 (email).