水鳥(みどり)平野(ひらの)

↑根尾谷地震断層のすがた

水鳥
根尾村水鳥地域における根尾谷地震断層の推定位置と変位確認地点
(1 / 5000森林基本図「根尾村」No.29を使用)

水鳥は,有名な断層崖が出現したことで濃尾地震断層系を象徴する場所となっていますが,地震断層がやや複雑に分布し,全体からみると特異な場所になっています.ここの断層崖は,『水鳥集落のある平地を一直線に北35 °西に横切り,その西方の地盤は低落し,下方より見るときはあたかも鉄道の築堤のような状態をなした.上下の変位は約6 mにおよび,切断面は水平面と40 °の角をなしていた』 (大森) .断層崖の『南は遠く根尾川の河原に現れ,延長は約1 kmあり,七灘(しちなん)と称する場所の近辺まで達した』 (大森) .

水鳥 / 断層崖
濃尾地震直後の水鳥断層崖の全景写真 (Koto,1893)
写真に手書きされた“Fault”は英語で断層のことを意味します.

観察館見取り図
「地震断層観察館」内のトレンチ断面見取り図 (佐藤ほか,1992)
1–4: 地震後の堆積物,5–6: 地震前の河川堆積物と耕作土壌,7: 基盤岩類 (美濃帯の堆積岩類)

観察館 / 断面北西面

観察館 / 断面南東面
「地震断層観察館」内のトレンチ壁面 (上: 北西面,下: 南東面)
(1992年岡田篤正氏撮影)
約6 mの垂直変位量は世界的にも最大級のものです.

観察館 / 基盤礫層境界
「地震断層観察館」内の南東壁面における基盤岩類と礫層の境界
(2002年9月撮影)
境界が南西へやや傾いており,逆断層の様相を示しています.

1. 水鳥断層崖 (水鳥南西縁部)

高さ約6 mに及ぶ断層崖は,1927 (昭和2) 年に国の天然記念物に,1952 (昭和27) 年に特別天然記念物にそれぞれ指定されています.この断層崖を有名にしたのは濃尾地震直後に撮影された全景写真です.とりわけ,Koto(1893)の論文に用いられた写真が海外に紹介されたことで,世界中の教科書に掲載されて有名になったとされています.

断層崖の傾斜角度

『40 °の角』が正断層(→断層の種類)の傾斜角と考えられたこともありましたが,この断層崖がトレンチ掘削されて,断層面がほぼ垂直であることが確かめられましたので,この傾斜面は崖が形成された後の崩壊面を表わしていることになります.その後も断層崖は風雨にさらされ続けていますから,時間の経過とともに崩れていき,さらには人工的な改変も加わっています.

断層崖の水平ずれ

この断層崖では垂直ずれが際立っていることから,水平ずれについてはあまり注目されていませんが,当時の写真をみても明らかにそれはあり,『断層のため道路の左右に移動せること約2.5 mに及ぶ』 (大森) とされています.

断層崖の北縁 (根尾谷15)

断層崖は,西光寺の西側にある寺山(てらやま)付近より北方には延びておらず,東西方向に走る大将軍断層をほぼ北限として終わっています.

「地震断層観察館」 (根尾谷16)

「地震断層観察館」は,水鳥断層崖の南東端で掘削されたトレンチをそのまま利用して,根尾村が濃尾地震100周年を記念して1991年に建設したものです.
トレンチの壁面では,暗灰色の基盤岩類 (美濃帯の中・古生層) と河川堆積物の礫層がほぼ垂直な断層面で接し,断層面が示す方向も,垂直ずれ5~6 mという値も地表でのそれらと一致しており,ここでは濃尾地震の時だけで生じた大地の変化を観察していることになります.巨大地震による断層運動の姿を直接に,しかも天候に左右されずに観察できる点で,貴重・稀少な場所となっています.

深層ボーリング (根尾谷17)

「地震断層観察館」の南にある段丘面上から深さ1300 mまで,断層面と交叉するように深層ボーリングが掘削され,種々の実験・測定が行われています.断層破砕帯の影響を受けて,圧縮力などの複雑な応力値が得られています.

2. 大将軍断層など (水鳥北縁部・東縁部)

水鳥においては断層崖のほかに2条の断層線がある.その1つはほぼ東西方向で大将軍祠の辺りから始まって根尾川を横切るものである.断層の北方が最大約5 mも低下した.このため上流側に滞水域が生じた.他の1つはほぼ南北方向で川の西岸に沿って生じたもので,東側が低下したが前二者ほどは大きくなかった』 (大森) .

大将軍断層

水鳥地域の北縁に東西方向で南側を上昇させた地震断層を正式には水鳥大将軍祠断層といい,その西端付近の杉林の中に坐禅をくんだ像を奉った祠の名称に因んで付けられたものです.この断層線はかなり湾曲していることから逆断層(→断層の種類)と考えられています.現在は,県道の東側から根尾川へ向って東西方向に延びる3~4 mほどの落差をもつ崖としてみられますが,樽見鉄道の敷設をはじめとして人工改変が進んでしまっています.

大将軍断層による滞水域

地震後に水鳥地域北東の根尾川に滞水域ができました.大将軍断層の南側が上昇したことで,『高さ約1.8 mばかりの隆起が河中を横断している. (それと) 河底の没落とにより一大滞水域ができ,今は次第に耕地に浸入し,従来の三(~)四倍の幅になった』 (比企) .『河床の変動を生じ,水鳥渡船場付近で著しく水幅を増し,深さ約2 m,幅約100 mだったものが約6 mと400 mになった』.『翌年8月に見たときには,貯水は流砂が堆積したため浅くなり,干潟に近い有様であった』 (大森) .この滞水域は,根尾川の東側山腹で大規模な山崩れが起きたことで川がせき止められてできたとする考えもありましたが,実際にはそうした山崩れはなかったようです.

水鳥地域東縁断層

水鳥地域の東縁,すなわち根尾川の西岸沿いでは,陥落が『根尾川の河底から耕地を経て板所に至るもので,水鳥の東北側にある』 (比企,1891) とされていますが,明確な断層崖の記載がなく,あまり顕著なものではなかったようです.板所から南下してきた断層線の一部と思われ,この地点より南では断層線の位置は不明です.

3. 水鳥地域の特異性

水鳥の断層崖を作った断層の動きは,根尾谷 (地震) 断層の一般的傾向に比べて北東側が隆起したり,断層線の経路が西に偏ったりといった特異なものであり,『垂直変位は異例であって,ひとり水鳥に限り東側地盤が高くなった』 (小藤) とされています.こうした特異な状況や水鳥断層崖,大将軍断層,東縁断層に囲まれた三角形の台地についてさまざまな議論が展開されてきており,この台地がもとの高さに比べて絶対的に高くなったと説明されています.

4. 七灘(しちなん)の河川敷小丘 (根尾谷18)

七灘は水鳥の下流にあって, 西方から根尾川へ流れ込む水鳥谷の出口付近の地名です.根尾川の河川敷に島状に小丘 (岩山) が突出しており,そこと根尾川西岸との間には断層はありません.水鳥の断層崖を形成した地震断層は岩山の東側を通過し,この付近で水鳥地域の東側を通った地震断層と合体して南下したことになります.この小丘が地震による山崩れでもたらされたと考え,それにより根尾川がせき止められたとされたこともありましたが,当時の写真や記録からはそうした事実はなく,地震以前からあった小丘にすぎません.

5. 平野

七灘を過ぎた断層線は平野の北方で根尾川の東岸へと渡りますが,その具体的な位置は当時の記載がないためわかりません.既存の根尾谷断層に沿って断層線が走ったと考えられます.
[文献]
佐藤比呂志・岡田篤正・松田時彦・隈元 崇(1992) 根尾谷断層水鳥断層崖のトレンチ壁面の地質. 地学雑誌,101,556–572.
⇒根尾谷断層 (中部)