濃尾地震(のうびじしん)とともにあらわれた大地の変化

濃尾地震とともに現れた根尾谷断層(ねおだにだんそう)のずれや割れ目は,雨などで流されたり,人間によって変えられたりして,時間がたつとともにその形がわからなくなっていきます。それでもまだ残されているものもありますから,そのようすを見ることにしましょう。

水鳥 / 断層崖 (Koto)
濃尾地震とともに大地が上下にずれてできたがけ
(根尾村)

水鳥 / 断層崖 (合成)
上の写真と同じ場所の今のようす
上の写真と同じがけの下に赤い線をいれてあります。右側の建物は,がけの部分を掘った穴を保存するためにたてられた地震断層観察館(かんさつかん)です。

水鳥断層崖A
上の写真と同じがけを近づいてみたようす
がけは残されていますが,かなりくずされて形を変えています。

水鳥断層崖B
上の写真と同じがけを別の場所からみたようす
ここでは人間がかべの形を変えてしまっています。

1. 上下のずれ

左の写真は,濃尾地震が起きてからそれほど時間がたっていないうちにとられたもので,地面が上下にずれて,約6 mの高さのがけが作られています。まっすぐにのびた道が上下に大きくずれて,がけの向こう側が少し左へずれているようすがわかります。このがけは,今ではかなりくずれたり,けずられたりして低くなっていますが,下の写真のように,まだはっきりと残っています。

水鳥 / 断層崖県道斜面
がけを横切(よこぎ)る道路のゆるやかな坂

がけを横切る路は,左の写真のようにゆるやかな坂になっています。道路の両側にがけがみえますが,このがけもくずれたり,けずられたりして,道路のようになだらかな坂になってしまうと,地面がずれてできた場所であることがわからなくなってしまいます。

観察館 / 断面北西面
地面を掘って大地のずれを見たようす
(地震断層観察館の中)

左の写真は,がけの部分を深く()った穴の中のようすです。約6 mのがけの真下(ました)には,そのまま約6 mのずれがまっすぐに立った線 (矢印(やじるし)の間) を境にして残されています。この穴には屋根が付けられていますから,穴のかべがくずされていくことはありません。大地のずれをいつでも確かめられるようになっています。
どうしてだろう? (その1)
濃尾地震の時に地面が上下にずれたことは,地面を掘った穴の中でまっすぐに立った境があることでわかります。そのずれを地表でみると,まっすぐに立ったがけではなく,ななめになったがけとして写真にうつっています。どうしてだろう?

高富 / 森旧桑畑段差
今も残されている上下のずれ
(岐阜県・山県(やまがた)市)

越切坂 / 桧
上下にずれた場所をまたいで成長したヒノキの根
(山県市)

上下のずれは,山の中ばかりでなく,平地にも現れました。左の写真では,水田の高さの違いとして1 mほどの段差(だんさ)がみられます。これも濃尾地震とともに現れた上下のずれを表わしています。このぐらいの段差は,みなさんの家のまわりでもみられと思います。ひょっとすると,それが大むかしの大地震とともにできた地面のずれを表わしているかもしれませんね。
少し変わった形で上下のずれが残されている例もあります。左の写真では,ヒノキの根が地面をはうようにななめ上へ向って伸びています。これは,木の根がまだ小さかったときに地面が根を横切って上下にずれましたが,根は切られずにもちあがったため,そのまま根が成長していってこのような形になったものです。
このヒノキは今でも残されていますが,その場所へはやぶの中をかきわけて行かなければなりませんので,残念ですが写真だけでがまんしてください。

中 / 茶の木
畑の境にあるお茶の木が折れまがって並んでいるようす
(根尾村)

中 / 屈曲
上の写真と同じ場所の今のようす
まわりのようすは変わっていますが,お茶の木の並びだけはそのまま保存されています。

2. 左右のずれ

地面のずれ方は上下にずれるだけではなく,左右にもずれました。左の写真は,もともと畑の境にまっすぐに植えられていたお茶の木の列が矢印の間で左右にずれて,とちゅうで折れまがるように並んでしまったようすです。ここでは最大で約9 mもずれました。こうした左右のずれは,お茶の木をまっすぐに植えなおしてしまえばわからなくなってしまいますが,地震とともにできた大地の変化を知るために今でも大切に保存されています。
どうしてだろう? (その2)
まっすぐに並んでいたお茶の木が左右にずれました。もともとまっすぐに並んでいた部分はそのまままっすぐに並んでいますが,その間をつないでいるずれた部分にもお茶の木が並んでいます。どうしてだろう?

上金原 / 道路屈曲
左右のずれを示す道路の折れまがり
(岐阜県・本巣(もとす)町)

左右のずれはいろいろな場所に残されています。左の写真は,道路が左右にずれて,とちゅうで折れまがっているようすです。この場所では水田のあぜ道も左右にずれましたが,水田を使うためには不便ですから,まっすぐに直されました。その時にこの道路の部分だけが直されずに残されたため,今でもこのように折れまがったままになっています。

大森 / 竹やぶ
濃尾地震のときにできた地割れのあと
(岐阜県・山県(やまがた)市)

3. 地割(じわ)れやがけくずれ

濃尾地震とともに現れた大地の変化は地面のずれだけではありません。地割れができたり,がけくずれが起ったりしました。
地割れはやわらかい土地で起きやすく,地面がほとんどずれずに割れ目だけができるものです。左の写真は,濃尾地震とともにできた地割れのあとです。竹やぶの中にできたために,雨などに流されずに今でもそのまま残っています。しかし,できたころにくらべると,その深さがかなり浅くなっています。

七灘 / 斜面崩壊
地震のあとで山の斜面が広くくずれたようす
(根尾村)

左の写真は,濃尾地震のすぐあとに,ゆれ方がもっとも強かった根尾村でとられたものです。地震によって大地が強くゆれて,急な山の斜面(しゃめん)が広くくずれているようすがわかります。同じ大地の変化でも,ずれや割れ目は大地にかかる強い力が原因でおこる変化ですが,がけくずれは地震のゆれが原因でおこる大地の変化です。