関市柳洞から南東へむかっては,『
断層線は津保川以南において一般に不明瞭で,垂直・水平の移動はほとんどみとめられない』 (別所) とされ,明瞭な地震断層は出現しませんでした.断層線は,当初は,『
迫間を過ぎ火打岩の山に入り,勝山の覚専寺内の畑で土地を根底から擾乱し,勝山の東端を経て木曽川をわたる』 (小藤) とされていましたが,関市大杉から坂祝町黒岩を経て,同町酒倉で木曽川に伸びていたようです.