関市南東部~坂祝町

↑梅原地震断層のすがた

関市南東部~坂祝
関市南東部における梅原地震断層の推定位置と変位確認地点
(1 / 2.5万地形図「美濃関」を使用)

関市柳洞から南東へむかっては,『断層線は津保川以南において一般に不明瞭で,垂直・水平の移動はほとんどみとめられない』 (別所) とされ,明瞭な地震断層は出現しませんでした.断層線は,当初は,『迫間(はさま)を過ぎ火打岩の山に入り,勝山の覚専寺内の畑で土地を根底から擾乱し,勝山の東端を経て木曽川をわたる』 (小藤) とされていましたが,関市大杉から坂祝町黒岩を経て,同町酒倉で木曽川に伸びていたようです.

1. 関市西田原 (梅原18)

ここでは,『寺を通って西北西~東南東の一線に畦が倒れた.築前に向かって西田原を離れた所一円は北に向かって低くなった』 (別所) とされています.

2. 関市大杉 (梅原19)

西方の小松や西田原へ向かう平地において,『畦が倒れ,地面がやや北に傾動したことが田植水を入れたときに明らかになった』 (別所) とされています.南西方の平井・下迫間にある丘陵にも割れ目がいくつかできました.

3. 坂祝町黒岩 (梅原20)

黒岩の西方にある丘陵地の北東麓には,『尋常の山崩れではなく,断層線あるいは亀裂があったが,山のみで延長線上の平地には現れなかった』 (別所) とされています.

4. 関市下迫間 (梅原21)

ここでは,『家屋が南へ飛んで倒れ,場所によりみがき砂のような砂が噴き出し.2 kmほど北方の小迫間では被害は軽微で,添え屋が2棟倒れただけで,母屋は一軒も倒れなかった』 (松田) とされています.

下迫間 / 迫間山
関市下迫間からみた迫間山
(2002年12月撮影)

5. 火打岩の山 (梅原22)

『火打岩の山』は迫間南方に東西方向に延びるチャートの峰を指し,その尾根部の露岩に大きな開口割れ目が生じたようです.迫間山 (標高309 m) の山頂付近にも西北西~東南東の亀裂があったようですが,付近には活断層を示すような地形はみられません.

6. 勝山の覚専寺 (梅原23)

『勝山の覚専寺』における擾乱は,寺の北側にある南に面した緩斜面に生じた地すべりであったようです.『破壊線は北80 °西に走る』 (小藤) とされたものは,地すべりの滑落崖にあたるものと考えられていますが,この緩斜面では整地がすすみ,多くの建物も建てられており,その痕跡は認められません.なお,現在の寺の位置は地震による地すべりのために南へ約200 m移転したとされています.

勝山 / 覚専寺
坂祝町勝山の覚専寺付近のようす
(2002年12月撮影)
右側の大きな屋根の建物が覚専寺で,その左手 (北側) に緩斜面がひろがっています.左端の白い建物付近に地すべりの滑落崖があったようです.

⇒梅原断層のすがた (坂祝町)