梅原断層のすがた

梅原断層の大部分が通過する平地部では,南へむかって流れるおもな河川と直交する西北西~東南東方向に長く延びる低地に沿って断層が走っており,この低地の形成に断層活動が関与しているとみられます.しかし,そこでは明瞭な断層地形がほとんど認められず,地形として断層を把握することがむずかしい状況にあります.こうした活断層でも,トレンチ調査やボーリング掘削によりその実態を把握する試みがなされていますので,ここではそれらをおもに紹介することにします.

山県市伊自良(いじら)村.

梅原断層の北西端部は,山県市生原(いきはら)の西方にあたる地域で,本巣町へ通じる名古屋坂と呼ばれる峠付近です.そこから東南東へ続く断層線は,生原の南方にあたる低地から伊自良川沿いの低地へとむかいます.

名古屋坂
山県市生原北西方の名古屋坂付近における梅原断層の位置
[野村(1991)にもとづく]
(1 / 2.5万地形図「美濃神海」を使用)
○印: 鞍部地形

1. 名古屋坂付近

梅原断層の中で唯一の山間部といってもよい名古屋坂付近では,西北西~東南東方向に延びる鞍部列が認められ,林道沿いでは基盤岩類中に断層破砕帯がかつて観察できました.しかし,この露頭には崩れやすいこともあって金網がかけられ,草に覆われてしまい,現在ではみられません.
【文献】
野村倉一(1991) 断層写真集. 根尾谷断層の今昔—濃尾地震から100年. 教育出版文化協会,45P.
⇒梅原地震断層 (山県市伊自良村)

生原物探による断層線
山県市生原において物理探査で推定された梅原断層の位置
[井上ほか(1991)にもとづく]
(1 / 2.5万地形図「美濃神海」を使用)

トレンチ・ボーリング位置
山県市高富町南東部におけるトレンチ調査地点およびボーリング掘削地点
(1 / 2.5万地形図「美濃神海」「岩佐」「岐阜北部」を使用)
T1: 高田トレンチの位置
[京都大学防災研究所(1983,1986); 岡田ほか(1992)にもとづく]
T2: 上洞トレンチの位置
[粟田ほか(1999)にもとづく]
B1,B2: ボーリング掘削地点
[浜出ほか(1992)にもとづく]
B3: ボーリング掘削地点
[森山(1997); 森山ほか(1998)にもとづく]

2. 生原

生原南方の平地部では沖積層の厚さが20 m程度と推定されており,その下に隠された断層線の実態を探るために信号源制御地磁気・地電流(CSAMT)法,浅層反射法地震探査法,高密度電気探査法と呼ばれる3つの物理探査が行われています.いずれの探査でも,断層線はおおよそ梅原地震断層の位置と一致しており,ほぼ直線状に走り,露頭で観察される性状と一致した結果が得られています.
【文献】
井上大栄・宮腰勝義・楠 健一郎・木方建造・大山隆弘・曽根賢治・鈴木浩一・上田圭一・藤光康宏・本島 睦・本荘静光・佐竹義典(1991)第四紀層下に分布する断層の調査法・活動性評価法. 電力中央研究所報告,U22,150P.
⇒梅原地震断層 (山県市伊自良村)
山県市高富(たかとみ)町.
山県市高富町地域における断層線はほぼ平地部だけを通過します.ここではトレンチ調査とボーリング掘削がそれぞれ行われており,これらに加えて,河川改修工事で得られた資料も活断層としての実態を明らかにする手段となっています.

1. トレンチ調査

山県市におけるトレンチ調査は,高田(こうでん)上洞(うえぼら)の2ヶ所で行われています.

a) 高田トレンチ

高田トレンチは,山県市伊自良村と旧高富町の境界にある越切峠の東側において1982年に掘削されました.ここでは,最近の約30,000年の間に確実なものに限れば2回 (1891年と約20,000年前) の活動が認められるだけでした.

b) 上洞トレンチ

上洞トレンチは,高田トレンチ地点の東南東約2 kmの地点で掘削されました.ここでは幅約10 mの断層帯が認められ,それは約11,000年前以降で1回だけ,すなわち1891年の濃尾地震時の断層活動だけで形成されたと考えられています.
【文献】
粟田泰夫・苅谷愛彦・奥村晃史(1999) 古地震調査にもとづく1891年濃尾地震断層系のセグメント区分. no.EQ/99/3,115–130.
浜出 智・大平明夫・岡田篤正・中村俊夫・松田時彦(1992) ボーリング調査で明らかになった濃尾活断層系梅原断層の新期断層運動. 名古屋大学加速器質量分析業績報告書,Ⅲ,49–54.
京都大学防災研究所(1983) 濃尾地震断層系のトレンチ調査. 地震予知連絡会会報,29,360–367.
京都大学防災研究所 (岡田篤正記) (1986) 1891年濃尾活断層系梅原断層 (高田地区) トレンチ調査. 活断層研究,3,28–32.
森山昭雄(1997) 岐阜県高富低地の地下構造と古環境変遷. 日本地理学会発表要旨集,51,84–85.
森山昭雄・鈴木毅彦・加古久訓(1998) 岐阜県高富低地の古環境変動と木曽川の大規模流路変遷. 日本第四紀学会講演要旨集,28,88–89.
⇒梅原地震断層 (山県市高富町南西部)

高富ボーリング柱状図
山県市におけるボーリング柱状図
[村松ほか(2002)にもとづく]
B1 (梅原) ,B2 (伊東) ,B3 (深瀬) の位置は前図に示してあります.

2. ボーリング掘削

梅原断層は断層線の北側を沈降させる傾向の運動をしており,そこを横切るおもな河川が南へ向って流れていますから,断層運動のたびに断層線の北側で滞水域 (湖沼) を出現させてきました.そこでは,地震時の急激な沈降により水深が増し,それまで徐々に堆積していた腐植土層の上にそれよりも粗いシルト~砂層が覆い,それらは徐々に腐植土層に戻っていくというサイクルを作ることになります.こうした湖沼は,ほぼ同じ場所で濃尾地震よりも前から繰り返して出現していますから,ボーリング試料から堆積層のサイクルを読み取ることができるはずです.

a) 梅原地区

ここは濃尾地震の時に25 haの湖沼ができた場所にあたります.ここのB1地点で深度25 mまでの試料が得られました.ここでは,腐植土層からシルト~砂層へのサイクルが3回みられ,腐植土層の年代値は100年前,31,800年前,46,600年前,58,600年以前であり,それらから読み取れる断層の活動間隔は15,000~30,000年とされています.

b) 深瀬地区

山県市高富町市街地の北方にあたる鳥羽川沿いには沖積低地が広がり,ここには濃尾地震の時に220 haにも及ぶ大きな湖沼 (→『深瀬の湖』の写真) が現れました.ここでもB2地点でボーリング掘削がなされましたが,試料採取が完全でなく,詳細な解析は行われませんでした.その後,同地域において既存のボーリング資料やB3地点でのボーリング資料を用いて堆積環境の変遷を解明する試みが行われています.それによると,4枚の火山灰層を年代の目盛りとして約12万年前,約9万年前,約6万年前に湖沼環境が作られ,3.5万年前以降は沼沢地の環境が長く続いて今日に至るとされました.ここでの湖沼発生時期は梅原地区B1地点で求められたものと必ずしも一致しませんが,陥没域が広く,陥没量が大きいために埋積時間が長くなることなども影響していると考えられています.いずれにしても,ここでも何回かの陥没とその後の長期に及ぶ埋積過程が繰り返されてきたことは変わらないことになります.
【文献】
村松郁栄・松田時彦・岡田篤正(2002) 濃尾地震と根尾谷断層帯. 古今書院,340P.
⇒梅原地震断層 (山県市高富町南西部)

高木橋
山県市の鳥羽川周辺域の地形詳細図
(1 / 2.5万地形図「岩佐」「岐阜北部」を使用)
高木橋西方の青線は標高30 mの等高線で,鳥羽川の上流 (北) には立体交差 (→鳥羽川の立体交差『伏越』の写真) があります.

3. 高木橋付近

山県市の鳥羽川にかかる高木橋付近で1986~87年に河川改修工事が行われ,そこに砂礫層 (北側) と破砕された基盤岩類 (南側) が接し,北へ70゜傾斜した断層面がみられました.
この地点の西方には標高30 mの等高線で囲まれた高まりがあります.その北縁に沿う比高1.5~2 mの低崖の位置に濃尾地震の時に地震断層が生じ,活断層もこの位置に沿って通ると考えられ,この高まりを含めた断層線より南側の地帯を相対的に上昇させる運動をしてきたと考えられています.
⇒梅原地震断層 (山県市高富町南西部)

▲ページの最初に戻る

坂祝(さかほぎ)

坂祝
坂祝町東部において梅原断層がつくる断層地形
(1 / 2.5万地形図「美濃関」を使用)
○印: 鞍部地形

断層地形をほとんど示さない梅原断層にあって,南東部の坂祝町においては山麓部を通過することで鞍部地形が作られており,そうした地形を利用して公共利用施設が建設されています.

坂祝施設
坂祝町の郷部山北東部の断層地形を利用して開発された公共利用施設
(2002年10月撮影)

▲ページの最初に戻る

梅原断層の特性

トレンチ調査やボーリング資料によって明らかにされた梅原断層の活動間隔は,濃尾地震とその前の活動時期との間隔でも約2万年という期間があり,断層運動により生じた陥没湖沼も2~3万年の間隔で出現・埋積されています.これらの値は根尾谷断層や温見断層とくらべて明らかに長いものです.1回の変位量も2~3 m程度と小さく,水平ずれよりも垂直ずれの要素が大きく,活動度のかなり低い活断層であることになります.それらが累積変位地形の不明瞭さとなって現れています.