吉田史郎・脇田浩二 (1999) 岐阜地域の地質.地域地質研究報告 (5万分の1地質図幅) ,地質調査所,71P.
火山[16] 木曽川泥流
災害[4] 濃尾平野の水害と御囲堤
海水面,各務原層,各務原台地,河岸段丘,間氷河期,木曽川泥流,氷河
【関連文献】
吉田史郎・脇田浩二 (1999) 岐阜地域の地質.地域地質研究報告 (5万分の1地質図幅) ,地質調査所,71P.
【余談】
木曽川が現在の流路を最終的にとるようになったのは江戸時代直前の1586年 (天正14年) であり,それ以前は各務原市前渡から各務原台地の西端を区切るように流れ,岐阜市南部を横切って長良川に流れ込んでいた.現在の境川がそのなごりである.江戸時代の各務原台地は,その上を中仙道が貫いて東端の鵜沼宿と西方の加納宿をつなぐ長丁場の野原にすぎなかった.未開拓の荒地は,明治初期に軍事演習場として利用され始め,それが軍事飛行場に引き継がれていった.農地もさることながら,住宅地や工場用地などに利用され始めたのはそれほど古いことではない.
小学5年「流水による土地の変化―河川の働き
河岸段丘