能郷白山の南側斜面一帯では,濃尾地震により山容が一変したといわれるほど山崩れがいたる所で発生し,地震直後にはこの付近が震源地と考えられたほどでした.しかし,険しい地形のために当時の記録があまり十分でなく,藤谷口より北では,『
藤谷に入ってから低い峰を越えて能郷谷にでるが,そのまま谷に沿って北上せず,能郷より約10 kmの所で谷の西側に移り,四十雀岳頂上を横切って徳山村の白谷に入り,能郷白山后山の右手を衝き,北西に進む』 (小藤) と記載されているだけです.