門脇からの断層線はそのまま南東へ延びるのではなく,北東側へ数十m隔った位置に活断層による低断層崖があり,その南東延長上の越卒において変位を形成したことから,ここで雁行する位置関係をつくっています.越卒からは,中の『地蔵堂の前を通り,その敷石は二分されて約5.5 mも横すべりし,また道路も直線だったものが曲線状をなすに至った
』 (大森) とされています.
2. 中 (根尾谷12)
『中』という地名は大字名であり,中村と呼ぶ場合もあります.『地蔵堂』はバス停の100 m南,現国道の東側に現存しますが,敷石の変位は残っていません.また,現国道にあたる道路の曲線状をなした形状の痕跡はまったく残っていません.
地蔵堂から南へ約150 mの現国道南西側では畑の境界をなすお茶の木の列や農道がいずれも系統的に6~8 mの左ずれ屈曲を示しており,それらは現在でも保存され,明瞭に認めることができます.
濃尾地震の2年前 (明治22年) に作成された地籍図と同じ場所の実測図とを比較し,ここでみられる屈曲が濃尾地震の際に生じたこと,変位量は最大9.2 m,最小6.0 m,平均7.4 mの水平ずれであったことが明らかにされています.