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災害[6] 栃尾洞谷土石流
~谷がぬける~

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【豆知識】

土石流は,先頭部に巨大な岩塊を含んだ多量の土砂が水とともに高速で移動するものであり,その破壊エネルギーは水だけの場合とはくらべものにならないほど大きい.大量の土砂を蓄えた急傾斜の谷に集中豪雨などにより多量の水が供給されれば土石流は必然的に発生し,岐阜県下にはそうした条件をもった場所が山間部のどこにでもある.災害に結びつくような大規模なものは,それなりの地質条件と地形条件を備えたところで起こりやすい.
1979年 (昭和54年) 8月22日に上宝村で発生した土石流は集中豪雨を引き金として起こった.1976年 (昭和51年) の9・12安八豪雨や2000年 (平成12年) の9・11東海豪雨とまったく同じように,本州上に横たわる前線と沖縄近辺に停滞する台風の組合せによる集中豪雨であった.最も大きな被害をだした栃尾地区では,北側の洞谷からでた土石流が地区全体を襲い,3名の犠牲者がでた.洞谷上流に結晶片岩,蛇紋岩,ミロナイト化した船津花崗岩など飛騨外縁帯を構成する崩れやすい岩石が分布していること,傾斜30°にも達する急傾斜地,そして集中豪雨,土石流の発生要因がみごとに重なった結果であった.この土石流の土砂総量は10万m³と推定され,それがいっきに流れ下り,栃尾温泉の載る扇状地上に流れ出た.谷の途中に設置されていた砂防堰堤や扇状地上を走る県道の橋をすべて破壊した.
上宝村の歴史は,高原川やその上流の蒲田(がまた)川の洪水の歴史とまでいわれる.これには急峻な地形と崩れやすい地質状況が背景にあり,単なる水害というよりは土石流をともなう洪水と考えるほうが適切である.それは高原川・蒲田川沿いの河川氾濫原が山岳地帯としては異常に広いことからも想像できる.両河川へ流れこむ谷の出口付近にみられる扇状地は人間の生活圏であると同時に,すべて過去の土石流の産物である.それらは今後も土石流を流し出す場所であることに変わりはない.土石流のことを“谷がぬける”という.地元の人々は谷がぬけることにかなり敏感であり,そこで生きていくためにかなり適格な状況判断を身につけている.それが桐谷土石流でも少ない犠牲者ですんだ要因である.

【関連項目】 災害[1] 土砂災害とは
災害[2] 岐阜県の土砂崩れ
災害[6] 栃尾洞谷土石流
災害[8] 帰雲山大崩壊

【キーワード】 蒲田川,集中豪雨,高原川,土石流,栃尾桐谷土石流,破壊エネルギー

【関連文献】
鹿野勘次 (1980) 集中豪雨と土石流の創造活動,および授業実践―1979年8月22日,岐阜県吉城郡上宝村栃尾における―.地学教育,33,8131–143.

【余談】
土石流は谷から流れ出る際に谷の方向にまっすぐに突き進む.当たり前である.ところが,その場所での土地利用状況が影響して平地に出てからの流路を谷の方向から少し曲げて整備する場合がみられる.洞谷でもそうであった.いろいろな事情はあろうが,土石流対策としての砂防工事であるなら無意味なものになりかねない.みかけが立派に見えることと立派な防災工事とは必ずしも結びつかない.目先の利害が被害を大きくする.

『学習テーマ』
小学5年「流水による土地の変化―水害
災害 (土砂災害)


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